「即身仏」とは、日本密教で作られる僧侶のミイラで、修行の1つとされます。
海外でも僧侶のミイラが祀られる事はありますが、「即身仏」は自らミイラになるため苦行する点で、独特の存在です。
ここでは、「即身仏」のスピリチュアルな意味や、向き合い方について、詳しく解説していきます。
「即身仏」のスピリチュアルでの象徴や意味
「即身仏」のスピリチュアルでの象徴や意味
前提として「即身仏」は「即身成仏」とは異なるものです。
「即身成仏」は、生きたまま仏となる事を目指すものですが、「即身仏」の修行は、食べ物を減らし、自らミイラになりやすいよう人体改造し、最後には餓死する事で「仏」になろうとするものです。
達成困難な上、実行出来ても適切な協力者がいないとその身体は失われてしまいます。
その目的は、人々の救済を祈るための、瞑想を続けるというものです。
従って、「即身仏」との接触は、救済を象徴します。
一方、『根本説一切有部毘奈耶』の中で、釈迦は自ら命を絶つ行動を明確に禁じています。
従って「即身仏」は、極めて限定的な条件に合わせて発生した、傍流の修行法と言えるでしょう。
「即身仏」のスピリチュアルメッセージ
「即身仏」のスピリチュアルメッセージ
「即身仏」との接触による感情にメッセージは顕れます。
夢に現れる場合も同様です。
一方、あなたが「即身仏」になるため行動する時は当てはまりません。
そもそも、ある程度思い通りになっても、協力者に犯罪を犯させる事になるため、あなたの徳は損なわれます。
「即身仏」のスピリチュアル的な解釈
「即身仏」のスピリチュアル的な解釈
「即身仏」のスピリチュアル的な解釈は次の通りです。
「即身仏」いい意味での解釈
「即身仏」いい意味での解釈
「即身仏」に接した時や夢に見た時、厳かな気持ちになり、心が安らぎ、苦しみが消えていくような感覚が訪れるなら、良い意味です。
「即身仏」は、仏教的な加護は期待できないものですが、人々を救うという大願を持った霊としての強いパワーがあります。
あなたの救われたいという気持ちに応え、悩みの元が解消されていくという顕れです。
その「即身仏」が何を願っていたかにより、解消される悩みは異なります。
「即身仏」悪い意味での解釈
「即身仏」悪い意味での解釈
「即身仏」に接した時、単なる死体に対する嫌悪以上の、恐怖や不安、苛立ちなどを伴う場合、悪い意味です。
「即身仏」は、神聖性に昇華されていない、個としての性質が残ったパワーです。
人間的な相性により、その救いの力も左右されます。
つまり、あなたとは「ウマが合わない」のです。
このような時は、その「即身仏」には頼らず、別の「即身仏」や普通の仏や菩薩に祈る方が、加護は期待出来ます。
相性は悪いものの、僧侶として人間は出来ているため、祟る事はありません。
無礼な事も1度までなら、我慢してくれます。
まとめ
まとめ
「即身仏」は、個人の力による救済を象徴します。
良い意味としては、悩みが解消される兆候です。
悪い意味としては、相性が悪いという顕れです。
このような時は、その「即身仏」にこだわらず、他の仏に祈る事で、加護が期待出来ます。
人間が出来ているので、通常、祟るようなものではありません。