「中庸」とは、どちらにも偏らないといった意味ですが、アンケートで「どちらでもない」を選びやすい日本人には、理解しやすい感覚でしょう。
この「中庸」のスタンスは、スピリチュアル的にも必要なものです。
ここでは、「中庸」のスピリチュアルな意味や、向き合い方について、詳しく解説していきます。
「中庸」のスピリチュアルでの象徴や意味
「中庸」のスピリチュアルでの象徴や意味
「中庸」は、古代中国の儒教の中で語られた徳目の概念で、古代ギリシャにおいても「メソテース(中間にあること)」という近い概念がありました。
ここでいう「中」は、平均や中央といった意味ではなく、偏らない事が重要となります。
スピリチュアルにおいては、精神と肉体、陰と陽、彼岸と此岸といったもの間や、スピリチュアルそのものとの距離感でもあります。
「中庸」を見失えば道を踏み外した状態になり、多くの場合そこから戻る事のが非常に難しくなります。
「中庸」のスピリチュアルメッセージ
「中庸」のスピリチュアルメッセージ
「中庸」が保てられているか、と自問した時の感情にメッセージは顕れます。
周囲にいる人の顔ぶれや、生活習慣からも読み取れます。
「中庸」のスピリチュアル的な解釈
「中庸」のスピリチュアル的な解釈
「中庸」のスピリチュアル的な解釈は次の通りです。
「中庸」いい意味での解釈
「中庸」いい意味での解釈
「中庸」であるかと自問した時、断言し難く不安が伴い、何か偏っているものが浮かぶのであれば、良い意味です。
上手く「中庸」が保てられており、自分を持ち、運命の中をスムーズに進んでいます。
誰かに極端に崇拝される事も、憎悪される事もなく、先のトラブルの種もありません。
自覚的にはあまり自信が持てず、不安感も伴いますが、卑下はせず今まで通り振る舞う事が正解です。
「中庸」悪い意味での解釈
「中庸」悪い意味での解釈
「中庸」である事に確固たる自信があり、何に偏る事も決してない。
同じ道に向かう賛同者が多く、「中庸」を認めないような敵対意見とも正面から向き合い説得し、活力に満ちているなら悪い意味です。
「中庸」を保てず、魂がどこかに偏っている状態です。
「これが正しい」と思った時、手段を選ばない傾向があります。
賛同者にとっては魅力的ですが、先の運命に禍の種を蒔いている状態と言えるでしょう。
このような時は、まず、自分の偏りを受け容れましょう。
偏りを認めず、自分の立ち位置を見失うえば、誰かの為、主義の為、といったお題目しか目印がなくなります。
人間は元々多数のものを受け容れる、「中庸」の性質を持ちます。
自分をきちんと保つなら、案外「中庸」に収まっていくのです。
まとめ
まとめ
「中庸」は、古代中国の概念で、物事に偏らないという徳目です。
「中庸」が保てられている場合、不安はあっても、トラブルの種は少なく、人生はスムーズに進みます。
保てられていない場合、自信に満ちあふれているようで、トラブルの種をばらまいています。
このような時は、自分の偏りを受け容れましょう。
偏りを認識し、正しく自分を保てば、「中庸」に収まっていくものです。