「丹光」とは、目を閉じたときに見える光の事です。
幾つかの理由がありますが、スピリチュアル的な現象の場合もあります。
ここでは、「丹光」のスピリチュアルな意味や、向き合い方について、詳しく解説していきます。
「丹光」のスピリチュアルでの象徴や意味
「丹光」のスピリチュアルでの象徴や意味
医療的には、光がないのに光を感じる現象を「光視症」と呼びます。
光以外のものが網膜を「刺激」した時、脳がそれを光と解釈するために起きる現象で、病気の兆候の場合もあります。
一方、その「刺激」が、気の流れ、チャクラなど、スピリチュアルな領域に属する場合、「丹光」として視認されます。
見え方などに様々な意味はありますが、共通して感受性の高まった状態を顕します。
「丹光」のスピリチュアルメッセージ
「丹光」のスピリチュアルメッセージ
「光視症」をもたらす眼科的な疾患がある時、「丹光」は見えません。
波立つ湖面に顔を映そうとしているようなもので、感知していても隠されてしまいます。
先に治療し、まずは気を静謐に戻しましょう。
そして見えた「丹光」について、見え方やその時の感情にメッセージは顕れます。
「丹光」のスピリチュアル的な解釈
「丹光」のスピリチュアル的な解釈
「丹光」のスピリチュアル的な解釈は次の通りです。
「丹光」いい意味での解釈
「丹光」いい意味での解釈
「丹光」の見え方が朧気で、温かみや力、落ち着く感じなどを伴う場合、良い意味です。
感受性が増しており、勘が働く状態です。
先入観に囚われず、感じたまま行動する事で、良い結果に辿り着けるでしょう。
「丹光」悪い意味での解釈
「丹光」悪い意味での解釈
「丹光」がくすんだ感じ、何かを伝えている感覚、強い不安、圧倒される感じ、恐怖心、苛立ちなどを伴う場合、悪い意味です。
増した感性が、悪い運命の訪れを感知しています。
これ以上「丹光」を見ても新たな情報はありません。
現実に起きている身体の不調、人間関係の問題、後回しにしている仕事などに向き合い、原因を明らかにする事で、悪いものから受ける影響を軽減できるでしょう。
一方、「丹光」がくっきりと見え、迫って来るような圧を感じる時も、悪い意味です。
人間不信やストレスから逃れたいという気持ちが、極度に強まっています。
このような時は、気持ちの整理より先に、物理的に距離を取りましょう。
逃げ足は、爪も牙も毒も、近代兵器も到達させない、最強の戦術です。
まとめ
まとめ
「丹光」は、感受性の高まりを顕します。
良い意味としては、感受性が満ち、感じたままの行動で成功する予兆です。
悪い意味としては、悪い運命の予兆、または、ストレスから逃げたいという顕れです。
このような場合、問題と向き合い、時に逃げる事で軽減出来るでしょう。